春日部と麦わら帽子
春日部の麦わら帽子
古利根川が流れる春日部は、昔から米や麦の生産地として栄えてきました。多くの農家は、麦を五本編みこんで組紐状にした「麦わら真田」作りを、副業としていました。そして明治10年頃、この麦わら真田を利用し、手縫いで帽子を作りようになったのが春日部の麦わら帽子の始まりといわれています。明治25年頃になると、・・、麦わら帽子の生産地として全盛を極めていきました。・・・ 春日部市の案内より
どうも、麦の栽培は春日部に限ったものではなさそうである。
利根川の流域を探って見ると、春日部辺りから古利根川、利根川流域は小麦、大麦の大生産地として、昭和の中頃まで隆盛を極めていた様子である。
今では、稲作の裏作としての”麦畑”を景色としてみることは希になってしまったが、その要因は、外国から安い小麦粉が大量に輸入されるようになり、採算が合わなくなって、冬の田園から、麦畑が姿を消していったようである。最盛期には二毛作どころか、三毛作もあったというのだが。
それでも、かっての麦の大生産地の名残は残っている。
埼玉北部、上州の利根川沿いに残る”うどんの名店。品質のよい小麦粉の代名詞・館林の小麦粉。小麦粉のメーカー・日清製粉の拠点などなどがそれ。最近では、麦の種類を替えて、上州や北埼玉には”地ビール”作りも盛んなようだ。
さて、話は麦の穂の方でなく、藁(=茎)のほうである。
麦わらを平たく織って紐状にすると”きれいな幾何学模様”になる。
この麦の平な織り紐を螺旋状に繋いでいくと円形の敷物状になる。この円形状のものを、頭部にかぶれるように窪みを付けて整形し、型を固定化させれば、”麦わら帽子”になるのだ。
最近の”麦わら帽子”は美しい。
白いのは、脱色したのだろう。
この脱色麦わら帽から、色づけされて、カラフルな麦わら帽子が生まれる。
繊細な幾何学模様の、自然の風合いは、まさに芸術品の域。夏の実用の必需品からここまで変わった。
そもそも日本には、帽子を”ファッション”として身につける土壌は、そんなにあるわけではない。あるのは、健康上の日差し除けとしての実用のレベルであった。
夏に、野良で働く、あるいは野外で遊ぶ子供らの、日差し除けの実用であった。野球やゴルフなどの野外の帽子着用も、概ね前者と共通の目的であった。
もともと、ファッションの帽子は、婦人用も紳士用も”貴族的衣料”という覚えがあって、身近であるという意識は薄かった。西欧では、帽子は”ステイタス”の意味合いもあると聞いている。日本での貴族の帽子の歴史は意外と古い。恐らくは、聖徳太子の冠位十二階という身分制度に始まると見てよい。これも、中国からの輸入物で、以来脈々と朝廷文化の中で伝統を繋いできた。見た目から判断すると、鶏冠(・とさか)をモチーフにしたデフォルメであろうが。違うかも知れない。中世に盛んであった”烏帽子親制度”は、朝廷内政治勢力の派閥力学の原点の派閥生成に大いに利用されたようである。いずれにせよ、一般庶民には、烏帽子は馴染みがなかったのは、言うまでもない。多少の関心があるのは、自分の出身の高校の立地する村(当時)のごく近くが、高級帽子のファッションを先導する「ベルモード」(昔・麹町、今・虎ノ門)の創立者・筒井さんの出身だったことを人づてに聞いていたからに過ぎない。「ベルモード」は宮内庁御用達としても知られるし、都内デパートの制服帽子、日本航空などのキャビンアテンダントの制服帽の納入元としても有名。名前の由来が、フランスの首相を務めた”ポアンカレ”から頂いたものというのもその時知った。ポアンカレは、紛らわしいが、”天才数学者・ポアンカレ”の方ではない。
”麦わら”に話を戻そう。
麦わらの平織りの紐は、”麦わら真田”あるいは”麦稈真田”と呼ばれる。真田の名前の付いた紐であるから、素材を麦わらにした真田紐であることが容易に想像がつく。
真田紐は、戦国の世に、強い紐を必要とした真田家が作ったとされるが、その部分は疑わしい。もっと昔に外国から伝わり、綿と絹で強化して実用化に熱心だったのが真田家で、関ヶ原で敗れた西軍の真田昌幸・信繁父子が九度山に蟄居していたとき、生活費捻出のため生産・販売したとされ、”強い真田の強い紐”と人気になって各地に広まったとされている。
真田昌幸
真田紐も、現在では帯紐や携帯のストラップ、桐箱の結び紐など美術品の領域まで達しているという。
梅雨が明けると、夏 ・・・
風鈴の短冊羽根が風に泳ぎ
縁側に、佇む麦わら帽子のひと
この麦わら帽子のつくりはうつくしい
こういうのも、芸術と言っていいのではないかと、・・ふと思う。
そういえば、昔読んだ本に、「限界芸術論」というのがあった。
確か鶴見俊介の書いたものの記憶がある。「思想の科学」の中にあるのかも知れない。
本箱を探しても、昔の雑誌類は何処にもない。捨ててしまったのかも知れない。
「限界芸術論」というのは、・・・
芸術と生活との境界線にあたる作品、と覚えているが、記憶が覚束ない。
人間の作る道具なりが精緻を極めてくると、美的体裁を整えて芸術品の域にまで達する。
これがソレに当たるのではないのか、と思ったが、確かめる術がない。
こんなことを思ったりして、春日部の麦わら帽子を探索している。
春日部も、いろんな懐を持つ街 ・・・