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鶴姫神社 ・・

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鶴姫神社 ・・



 ・・・ 地元の人々は、この鶴姫大明神をツルヒメサマとかオツルダイなどと呼んでいます。昔、ここは広い低湿地帯で入江となっていて、台地の周囲には桜の花が咲く美しい場所でした。 ・・・ 岩槻の伝説より
岩槻城主の娘・鶴姫様は、この土地がとてもお気に入りで、よく遊びに訪れたのだそうです。鶴姫様は不幸にも若くして亡くなられました。そこで、この鶴姫様をおまつりしたのが鶴姫大明神ということです。



◇:岩付(岩槻)の昔は、荒川と綾瀬川にはさまれた岩場の多い台地でした。綾瀬川は、昔荒川の乱流の一筋であり、荒川本流の時もありました。荒川は、もともと関東平野を流下するときの雨季は、増水して幾筋もの綾をなす川筋になり、時折に本流も変えたようです。時には、室町時代以前は、今の古利根川がかっての利根川であり、大洪水の時は、利根川と荒川は合流し、凄まじい広域を泥土と化していたようです。これは、家康が江戸に城を構えて、関ケ原の戦いに至る直前の頃まで続いたことが、上杉景勝の討伐途中の「小山会議(=小山評定)」までの記述でわかります。

鶴姫神社 所在の「真福寺」地籍は、貝塚跡であり、低湿地でありました。付近は、元荒川ではなくで、綾瀬川のようです。
どうやら、伝説を検討して地形的な時代を探ると、入り江の状態からは平安か鎌倉期を想定でき、その時代に大田氏はまだ岩槻の城主ではなかったことから、鶴姫は大田氏の娘ではなさそうで・・・というのが結論です。
R16の喧騒を離れて、加倉のICにも近く、岩槻高校の裏手に位置する、今日に至っても、花木が風情を増す田園風景で、鶴姫でなくても”お気に入りの風景”になっています。


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