真田氏の町 ・・・松代
松代城
城門
城内庭園
裏門建物
真田氏の住居
真田家・宝物殿の裏側
真田家家臣の屋敷
鬼瓦の六文銭
松代 ・・こぼれ話
真田家はその出自から外様大名とされることが多いが、幕府における席次は譜代大名待遇であった。理由として、八代藩主真田幸貫が八代将軍徳川吉宗の孫である松平定信の実子であること、信之の妻が徳川家康の養女・・本多忠勝の実娘・・であること等の理由による。
*信之の父・昌幸と弟・幸村は、反徳川として有名。関ヶ原の戦いの時、真田昌幸は、どちらが勝っても、家系が存続するように、兄弟を徳川方と豊臣方に分けたという。
*松代は、今でこそ千曲川の氾濫はないが、真田家統治時代には、度々氾濫で藩財政が困窮したといわれる。真田藩の財政再建を託された、恩田木工の手法は、現在研究されて、評価が高い。恩田に登用された佐久間象山は、改革があまりに急進的すぎて京都で暗殺される。象山の名は、象山の生家の背後の山の象山から付けた号で、この山に”地震研究所”がある。