菜の花の川
・・ 司馬遼太郎の「菜の花の沖(全六巻)」を捩ったわけではありません。
見沼のほぼ中央を貫流する芝川の両側土手に、覆い尽くすように咲き乱れる菜の花を見て、恐らくは”からし菜”だろうけれど、”菜の花の川”と名付けてみました。
芝川は、”悪水”と呼ばれています。こう呼ばれると、なんだか”汚い川”のように聞こえます。
実際きれいな川ではありませんが、芝川の名誉のために誤解の部分を取り除こうと、多少の反論を試みてみます。
悪水
関東郡代・伊奈家の治水に事業の文献を辿ると、時折‘悪水’の表現に出くわします。その意味は、井沢惣兵衛の干拓の事業を例にとれば、見沼(=御沼)の干拓のとき、泥沼であった泥地の、必要部分の水量を残した余分の水を排水する水路のことを悪水と言っているようです。この時点では、炊事や洗濯で出た生活排水の汚水の意味は含まれておりません。もし出たとしても、人口集積が疎らで、少量汚水は悪水の中でやがて浄化されて、ほとんど問題が起こらなかったのでしょう。排水路(=悪水)は干拓には絶対不可欠のようです。
やがて現代に至ると、悪水は昔の田圃を潤すに余りの排水路の意味を離れて、生活排水、汚水の意味に変わっていきます。
この昔の悪水の意味を踏まえないと、沼地や湿地や氾濫原の干拓事業を正確に理解することは出来なく、違和感を覚えることになります。
見沼の田圃を貫流する水路は、東西の用水は上水であり、低地を流れる芝川は悪水であったわけで、芝川が不当な悪評を受けないためにも正しい理解が必要です。
同様の悪のつく言葉が、現代と異なるものに、中世の悪太郎とか悪源太とかがありますが、これも悪人の意味ではなく、荒々しく元気のある幼年、壮年の男児を表している言葉です。