中院
山岡荘八によれば、 ・・・
戦国時代、風来の坊が風の吹くままに川越に流れ着いて、
・・・ 無量寿寺の北のあばら屋に一偶をもとめ住み着いたという。
そこは北院と言った。
風来の坊の名は随風。
随風は、博学に通じ、風水にも理解があった。
家康は、この随風の博学を愛し、風水にも理解を示し、
・・・ 民生安定の精神世界のことを随風によく相談した。
やがて、・・・
・随風は、天海となのるようになり、
・北院は、”喜多院”と名前が変わり、
・無量寿寺は廃寺となり、無量寿寺は中院のみが、喜多院は独立して残った。
山門には、日蓮の名が、・・・ しかして天台宗の寺とある。
もともと日蓮は、天台宗徒で、若きとき比叡山で修行をおこなった。
それにしても、うつくしい庭園である。