高遠藤沢 御堂垣外 本陣・・
藤沢谷 ・・むかし、保科正満が藤沢に来て、武士を棄て帰農した。保科正則の弟かも知れないという。土着して改名をした言う。恐らくは・・・(藤沢正満・藤沢邑主)。しかし、定かではない。
貴船神社・・・
転記、藤沢御堂垣外の風景・・・
石像の祈り・・・
それにしても、石像の多い所・・・いたるところに・・
庚申塔・・
庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申で猿だから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿を彫り、村の名前や人の氏名を記したものが多い。仏教は、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもある。神道では、猿田彦神が彫られることもある。また、庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに塞神として建立されることもある。・・
・・・左下に猿が二匹”み猿、きか猿”、右は三匹の猿”いわ猿、み猿、きか猿”・・・
高遠石工の名人”守屋貞冶”の地蔵尊。 これは建福寺にありました。
・・石仏では無い様な気がしますが・・
・・手を繋いだ双体像です・微笑ましい
一面四臂の青面金剛仏に三猿
・・三面六臂、腕は一本欠けています
・・不動明王でしょうか
個人的には、顔や手の多い仏像は、現実離れして、あまり好きではありません。出来れば一面二臂がいいのですが。民衆信仰には、十一面観音が多く見られます。なぜだか分かりません。
高遠は石工の町と言われています。
石工は、石仏、石灯籠、石階段、石垣、地蔵など石を細工するもの何でも作ります。一番多いのは、やはり墓石なんでしょうが。名人”守屋貞冶”は、そのうち石像、仏像の名手でした。緻密で柔らかい表情は、いまでも、仏の優しさを訴えてきます。高遠の石工は、石の造成物作成の時、いつもかり出されます。江戸城の石垣を作る時も、保科家を通して、石垣築造の指揮にかり出されています。この地が貧しかったので、出稼ぎも多かったようです。高遠石工の使った石は、少し緑がかった石で、長い風雪に耐えるようです。この高遠の近くに、石の産出場があるのでしょうね。