古尾谷は古谷のことか?
古尾谷八幡神社
川越線の大宮から川越の間の、川越の一つ手前の駅は古谷である。古谷に古谷本郷という地籍がある。この地籍は、案外古くから栄えていたようで、歴史的な遺跡の痕跡がある。
さて、場所だが,・・荒川に面しているようだが、その西側に、沼と化した川が流れ
ている。「びん沼川」といい、「鮒釣り」で有名な漁場のようだ。この場所の荒川は、江戸時代以降だから、どうやら入間川の痕跡と想像したら当たりかもしれない。昔は、川を境界とする例は多く、びん沼川の東で荒川の西の挟まれる地区は、大宮の地籍になっており、湯本町、植田谷本村新田、飯田新田、馬宮などの字地名を持つ。
川越と大宮の江戸時代以前の往来は、まだ荒川が流れていないので、治水橋付近のびん沼の「飯田の渡し」で川を渡ったらしい。
古谷本郷には、「古尾谷八幡神社」という古い神社がある。
---古尾谷八幡神社は、慈覚大師が天長年間に巡錫した際灌頂院を創建、再訪の際に石清水八幡宮の分霊を祀り、貞観4年(863)当社を創建したといいます。---
創建は、平安時代。別当が「灌頂院」ということのようです。この場合、神社の神格は、経済的な賄など俗世の習いを潔しとしないため、その代行や支援を「別当」が行ったようです。ここにも「天台宗座主」の慈覚大師が出てきます。
古尾谷八幡神社 背景の林から撮影。雄壮・壮麗です。朱が目立ちます。
敷地内に、稲荷神社、護国神社、春日神社が合祀されています。
新編武蔵風土記稿によると・---
古谷本郷は、もとは「古尾谷」という字名で記されており、古尾谷だったことが分かります。そして、古尾谷という豪族が、源頼朝の家臣でおり、南北朝期まで名前が、古書に時々記載されています。古尾谷という豪族の初見は、古尾谷庄という荘園の地頭が京都から任命されたのに始まり、古尾谷を名乗る前の初は藤原姓であり、藤原一族だったようです。---・なるほど、それで「春日神社」か!。
入口の鳥居・
武蔵国が、分割されて幾つかの県に分かれていた頃、「県社」だった・らしい。
風格はあるのですが、人気がなく寂しいのは、交通の便でしょうか!
最初の命題 ・・「古尾谷は古谷のことか?」は、いろいろ確認すればするほど、やはり、そうとしか思えません。「ふるおや」は、--「ふるや」とも聞こえる。