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消えた「鷲神社」・・

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消えた「鷲神社」・・

宮田、宮前、宮内、宮城、大宮、宇都宮、三宮、西宮、富士宮・・・
宮が付く地名は、全国に意外と多い。
この場合の”宮”は、概ね「神社」のことで、関連する地名になる。

 

さて、さいたま市見沼区に、昔「門前村」というのがあったらしい。そして、字・「宮の上」を中心として「東宮下」「宮ヶ谷塔」「東門前」という字・地名が散在する。こうなると、「宮の上」には確実にかなり大きな神社が存在したのは、疑いの余地のないところだろう。
このことについては、かって余正確ではない情報を書いたことがある。
◇:「大宮 風渡野の宮 を探って」:http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946/e/e0caa3dc754ed4bc8739d49060423534:参照


さて、東門前通り・を蓮沼から東上して突き当たった近くが「宮の上」という地籍。この「宮の上」には、あまり大きいと言えない「湯殿神社」というのがあるのだが、・・。どうも、門前町を形成る神社としては、「力不足が」が否めない感じがする。


そこで「湯殿神社の由緒」を尋ねてみる。---「埼玉の神社」による湯殿神社の由緒
湯殿神社<大宮市東門前三五六(東門前字道際)>
当地は、『風土記稿』に「風渡野村枝郷門前村」と---この門前という地名の由来は、当地に社領23石の鷲明神社があり、その門前が発達して---この鷲明神社は、当地の字「上の宮」に鎮座していたが、当地が分村独立するに及び、本村である風渡野村へ遷座した---「鷲神社」が移転したことでその跡に「湯殿神社」が勧請されたという説明である。
古文に記された「鷲明神」は神領23石を持つ神社とあるので、江戸中期までは、この地方に君臨する「威風堂々」の社格を有する神社であったことが覗われる。この地は、七里の地名が示すように、数村の離散併合が繰り返され、明治後期の「神社令」が決定的になり、天神社への併合によって、僅かな痕跡をとどめるに至ったわけで、今に残る地名を生み出した神社としては、いささかさみしい限り、と言わざるを得ない。


また、「鷲明神」の神領23石はどこであったのかも興味が尽きないが、江戸中期以前のこの付近の古地図が近くの図書館に有りそうな「地方史・収録」でもあれば、確かめようもある。当たらないかもしれないが、七里駅周辺の小字名が「鷲」という名前であるそうで、そこが鷲神社の「神領」であれば合理的に説明がつく。


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