都幾川の慈光寺・・・秋 慈光寺の紅葉
葉書の語源・・・”たらよう”という、めずらしい木、葉の裏に文字が書けます・・・
★葉の裏 に傷を付けると黒く変色する不思議な植物がタラヨウです。「葉書の木」のニックネームで知られています。左の写真の葉っぱの字はマジックインクで書いたのではありません。
先の尖った物で、書いただけです。書いた跡はペンで書いたように見事に黒くなり、はっきりと字が読めます。宛先の住所を書いて切手を貼ればそのまま葉書になります。こんな葉っぱが採れる木が近くにあれば、メモ用紙 代わりにもなりそうです。昔は子供が字や絵を描いて遊んだことも多かったようです。字を書いた後の葉は、そのうちに枯れて茶色くなってきますが、それでも、かなり長期間にわたって、字はしっかりと読める状態で残ります(写真上段左)・・・転記
・・・まあ、しかし、これはどうもこじつけのようで、葉書は、「端書」が語源のように思えます。
実験で、実際に”たらよう”に文字を書いて、切手(規格外¥120?)を貼って投函したら、届いたそうです。でも、、自然のものですから、熱に弱そうだし、郵便屋さんも困りそうなので、実行禁止!で。
この木は、慈光寺の山門を潜った脇にあります。
慈光寺・・・由来書
・・・九十六世信海が書きました寺伝『都幾山慈光寺実録』によりますと、天武天皇の二年(六七三年)癸酉、僧慈訓が当山に登り慈光老翁の委嘱を受け、千手観音堂を建て、観音霊場として開基しました。 その頃、役小角が伊豆の国に配流となり、関東を歴遊して当山に至り、西蔵坊を設け修験道場としました。奈良時代になりまして、唐より波濤を越えて来朝しました鑑真和上の高弟、釈道忠によって、慈光寺は創建されました。道忠は、仏法を広めるため東国を巡錫しましたが、徳望篤く利生に努めましたので、民衆より広恵菩薩と敬称されました。道忠は、当山に仏像を建て、一尺六丈の釈迦如来像を安置し、一山学生修学の大講堂としました。・・・
かなりの名刹のようです。天台宗とありますから”密教”との関係も深く、山伏の寺でもあるようです。従って、修行道場とか学林とかの、お坊さんを育てるお寺であったようです。かっては、修行僧が寝起きする宿坊が周囲に乱立していたと言われています。宿坊は、寺院自体と違って造りが悪く、ほとんどが残存していないようですが、
寺を取り巻く紅葉が、慈光寺を飾ります・・・
場所;比企郡ときがわ町大字西平386