大宮から、上福岡(現・ふじみ野市)や古谷(川越)へ向かう治水橋の手前の方に、水判度という奇妙な地名がある。
水判度は最初”みずはど”と読んでいて、最近になって、正式には”みずはた”だと知った。
・慈眼寺
手前の橋は、「新川」に掛かり、正面の大きな寺は、慈眼寺・・川越・中院の末寺・・です。
社務所と本堂
・・本堂
・・山門
・・彫刻装飾
・・・水波田観音の文字が見えます。やはり・・みずはた・・です。
中世ではよくあることですが、地名や人名に、”呼び名”が同じで、それに漢字を宛がう時、ときどき違う漢字を当てます。これは、中世の古書を読む時の”心得”で、漢字が違うからといって、別の土地や別の人を指すわけではありません。印刷技術のない時代の書籍は、個人の努力に負うところの”写本”が基本でありまして、元本があって、写本を時系列に比べると、漢字の入れ替えや漢字の仮名化、又逆の仮名の漢字化など、日常茶飯事でありました。元本から離れた末の写本は、意味の逆な場合もあったようす。・・・以上を予備知識として
”みずはた”は、水判土、水波田、水畑と書かれていたようです。
さて、慈眼寺のこと・・・
慈眼寺・水波田観音
天台宗の古刹で天長三年(826)創建。慈覚大師円仁が東国普教の折、開山。当寺は古くから観音霊場「水波田観音」として信仰を集めた。自然の要塞と呼ばれる地形に位置し、このために戦国時代は軍事的拠点としての役割を担ったため戦火に焼かれ衰廃し、また復興するという歴史を辿る。江戸時代は徳川家康の民心安定策の一環として寺領十石を安堵された。明治になり全国に「廃仏毀釈」の嵐が吹き荒れたが、当寺は難を乗り切り今日に至る。
八百比丘尼(ヤオビクニ)伝説
天武天皇の御代、若狭国に通鴻という人がいた。ある日海辺に出ると、いつの間にか見たこともない楼閣に招かれ馳走を受けた。後に龍宮城であることを知った。家に帰り寝ているすきに娘が龍宮からの土産を食べてしまい、その後娘は年を経ても容貌は全く変わらず、美しいままだった。娘は誰にも嫁がず徐髪して尼となった。比丘尼となった彼女は諸国を遍歴し、荒れた社寺を修復するなどの活動を行った。八百歳の時に当地に立寄り庵を結び、残り200歳の命を当地の殿に奉じ亡くなった。
慈眼寺は、もと城塞・・説
大宮の水判土に、「城跡」としての「慈眼寺」が記されている。・・・「標高およそ12mの小高い場所に位置し、東・南・北の三方を水田で囲まれ、東方には鴨川が流れ、西側だけが台地続きで佐知川へと続いている。新編武蔵風土記稿に、この寺は元々城塁があった所だという記録があり、古くはここに武士の館跡があったことが伺われる。そしてここは、小田原北条に属した岩槻城太田氏の氏族、潮田氏の家臣の守る城だったという伝承が残されている。・・・秀吉の小田原攻めで焼失。
慈眼寺の脇を、鴨川と新川が水路を作っています。
この鴨川は、入間川の旧河川だという、言い伝えがあります。
鴨川と新川の合流地点
鴨川の概容・・・
鴨川
鵬川の生い立ちについては旧入間川の変遷とともに見ることができます。 入間川の最も古い河道の上尾市平方より下流は、蕨鳩ヶ谷を経て、三郷古利根川に合流しており、現在の荒川の河道よりも東方に位置していたといわれます
旧入間川は西遊馬、土屋、佐知川、飯田地区を流れた後、現在の鴨川へと流れ込んでいたようである。旧入間川は流路が定まらずに乱流して流れていたので、下流地域に洪水被害を及ぼしていた。そのため、流路を固定するために江戸時代初頭に伊奈備前守によって、遊馬村(西遊馬)の付近に締切堤防(土屋古堤)が築かれ、旧入間川の流れは 一部が本流から分離させられた。これによって鴨川は実質的な水源を失ったことになるが、上尾市域から鴨川へ排水していた落し(農業排水路)が整備され、上流には新たな流頭部が形成されたのだと思われる。
・・・この旧入間川の鴨川・毛無川の流域は、夥しい数の”円墳”の古墳が散在しています。円墳ですから弥生後期でしょうか。調べてはいませんが、これだけ多いと発掘調査は限界がありそうです。田園の中に放置され、あるいは住宅造成で墳が削られて平地化されているのかも知れません。
どうも、土屋古堤によって堰き止められた水路が”新川”のようである。
新川
新川沿いに咲く花
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新川沿いの”足立神社”
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赤い斜線の部分が、新川と鴨川と流域の溜め井と思われます。・・・新川の水源は、荒川・土屋付近、鴨川の水源は、荒川・平方(上尾)付近と思われます。沼状の部分は、灌漑されて水田になったと思われます。
乱流し、下流地域に洪水被害を及ぼしていた旧入間川の治水に、江戸時代初頭に伊奈備前守が拘わって、遊馬村(西遊馬)の付近に締切堤防・土屋古堤が築かれたそうです。土屋に、伊奈備前守(=伊奈忠次)の陣屋跡があります。
伊奈陣屋(・代官永田氏の長屋門)
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下流・藤橋付近の鴨川
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