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岩井堂 円融寺の奥の院 ・・・秩父巡礼

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岩井堂 札所二十六番

懸崖造り(けんがいづくり)、舞台造り(ぶたいづくり)、崖造り(がけづくり)・・・

             ・転記  曰く、名品・・

                  ○謂れ多々秩父の礼所蝉時雨    ・・裕

             友人から、一句送ってきたので、記載しておきます。夕立の間に日差しが・・・

 

「観音霊験記」の「霊場の縁起」については、次のような逸話が 記述されています。

秩父次郎重忠
當山は、空を凌ぎし高山にて、猶奥院に登りては、月宮の桂も折る可、深谷を臨みては、森々として結清水煩悩 の垢を清め、岩上には愛宕金毘羅を鎮護の神と崇め、都て岩竇に弘法大師の護摩壇石佛、國禪師の座禪石、その外 諸神諸佛の尊体堅固に並立玉ふ絶景の霊場也。
當國の住人、秩父別当武基が玄孫、太郎重弘此尊像を信じ、大檀那たるがゆへ、其子重能、此子重忠ことに信じて、 霊験を蒙ること少なからず。

文章はそんなに難解でもなさそうなので、現代語に訳さずにそのまま記載します。 

愛宕金比羅とは何でしょう・・・もともと象頭山にあった松尾寺に防火の神の愛宕と金毘羅が鎮守神として祀られており、修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に象頭山に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする。

役行者が、修験者として秩父に来た時に、もとは海の守神の金比羅を、自身と修験者の守りで連れてきてしまった、と言うところが正解かと思います。                    

観音堂・・・                        

岩井堂へたどり着く道。昭和電工の敷地内を通り、琴平神社の脇の道を昇ると、緩やかな石段の道になり、そこからだと15-20分で観音堂に着く。石段数は300段と多いが、かなり緩やかなので、それほどの疲労感はない。昭和電工といえば、武甲の石灰を使った肥料の工場なのか・・。

 石段の参道・・・                      

そこで、弘法大師とか國禪師とかが来て、霊験地として、名が固まったのでしょう。こうしてみていると、修験者と秩父次郎との繋がりが一層つよく思えます。秩父別当の武基の別当はほぼ牧監と同意味で、官製の牧場主をあらわし、畠山重忠(=秩父次郎)はその嫡流であったようです。この一族が金比羅大権現の信者で、大檀家でもあったようです。

秩父は、どうみても昔から水田に適した土地柄には見えません。それにもかかわらず、比較的人口が多そうです。さらに加えて、寺の数も人口に比してかなり多そうです。これは、かっても今も持ち続けている疑問です。そんな疑念が根底にあるので、ずっと山の生業には注意を払って見てきたつもりです。林業については、外秩父までは、流通手段から理解の範囲でしたが、秩父、奥秩父に到ると林業の生業は、理解の範囲を超えます。秩父銘仙を中心とした絹織物と養蚕は、ある時期秩父の主力の生業でしたが、浮き沈み激しく、長年には、地方を潤さなかったようです。そうすると、やはり鉱山でしょうか・・・。いまでは、石灰岩・・セメントと肥料・・・。

むかしは、牧・馬牧場で、今は石灰・・というところでしょうか。

             岩の窪みに・・・  閻魔様・・

 

扉に彫刻、浮かし彫り?・・・   

 

畠山重忠の時代に、秩父の何処が牧(・・牧場)というのでなく、秩父が全体牧場だったような気がする。板東平家の流れをくみ、役行者との関係を持ち、秩父丹党との親戚関係もあり、重忠の祖父(武基)が高麗族の説もあることから、ここ岩井堂は、秩父が凝縮しているようだ。

それはともかく、比較的面倒な道程ながら、岩井堂は巡礼者に、なぜか頗る評判がいい。

岩井堂住所;秩父市下影森1450

 

 

 


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