Quantcast
Channel: ときどりの鳴く 喫茶店
Viewing all 680 articles
Browse latest View live

川口自然公園

$
0
0

川口自然公園

野鳥と蝶の保護地区

蝶の保護地区にもなっています。 ・・・蝶は見かけませんでした・・・

公園内の 木の実  ・・・もう秋です


公園内の池 or 沼?

子供が、ザリガニを釣っていたようです 


ここも、見沼用水西縁水路 沿い  曼珠沙華が咲き始めています。

場所は、東浦和駅と東川口駅の中間 ・・・武蔵野線の線路脇  浦和通船堀から1.5Kmぐらい

曼珠沙華が咲くと、季節が変わります ・・・




曼珠沙華 in 越辺川沿い

$
0
0

曼珠沙華 in 越辺川沿い

彼岸の入り ・・・ 
この季節に、似つかわしい花 ・・・ ”曼珠沙華”

この”曼珠沙華”群落を見つけたのは、去年 ・・
川島町の、”白鳥飛来地”の上流にあたります。

白鳥飛来地の"駐車場”付近の堰堤・

 

白鳥を含めて、越辺川の風景が好きで、時折訪れます。
特に、昔の風景を醸し出す”冠水橋”が連続しています。

冠水橋 ・・・ 八幡橋、落合橋、島田橋 ・・・

 八幡橋 ・・白鳥飛来地付近

 落合橋 ・・川の合流を指す言葉。都幾川が越辺川に合流。橋は落合より上流。

越辺川と都幾川の合流地点・落合


  赤尾落合橋 ・・越辺川を跨ぎます。

赤尾落合橋の残骸 ・・流失・無残


  長楽落合橋 ・・都幾川を跨ぎます。

長楽落合橋 ・・流失して、跡形もありません


   赤尾と長楽は、道続きで繋がっています。
   
*散歩の人、三人に「落合橋」の所在を尋ねたら、三人同様に、川越街道の落合橋を教えてくれました。
まあ、そちらも越辺川と入間川の合流地点の橋ですが ・・・

 島田橋 ・・TVや映画のロケ地 今年6月の豪雨で流失 ・・
  うれしい知らせ 日本経済新聞  映画の木橋、復旧へ 埼玉の有名ロケ地、大雨で流失 

クイックで、記事の内容が読めます


曼珠沙華の群落地


 ・・・ 八幡橋と落合橋の間 ・・特に天神橋と落合橋の間 ・・水道橋を挟んで の堰堤

水道橋付近 ・・曼珠沙華は、堰堤の両側、水道橋を中心に前後2,3Km ・・・

 

曼珠沙華 in 見沼用水路東縁・脇道

$
0
0


曼珠沙華 in 見沼用水路東縁・脇道


お彼岸の日 <はらみつのみち> を散策 ・・・


Pāramitā road  波羅蜜の道 <はらみつのみち>

ここは見沼用水路・東縁の見沼自然公園からの道路、
<はらみつのみち>は、去年、”勝手に”名付けました。

去年のブログ: 曼珠沙華が道筋を飾る散歩道 ・・・見沼田圃にて


今年は、公園から”風渡野”への”道すがら”です。

   

曼珠沙華とすすき ・・・もう、秋


江戸時代、見沼を開拓した「井沢弥惣兵衛」という人が、
開拓の成功を祈願して、見沼の沼のほとりに、弁財天を七つ作りました。

弁財天


木にのぼる ”にわとり”、 ・・・珍しい

弁財天の脇の木立と鶏


参考: Pāramitā road 波羅蜜の道 <<般若波羅蜜多
 ・・直訳すれば、般若は智恵とか真理で、波羅蜜多は彼岸に至る、あるいは究極の悟りの境地にたどり着く>>

 


 

赤尾(・坂戸市) ・・・地名の裏を覗くと ・・

$
0
0

赤尾(・坂戸市) ・・・地名の裏を覗くと ・・

越辺川の”曼珠沙華”を見に来て、”赤尾"の地名が気にかかった。
天神橋を渡ると、坂戸市赤尾になる、その”赤尾”のことである。天神橋から越辺川のやや上流の坂戸側に、「金山彦神社」がある。

金山彦神社

越辺川・天神橋付近の彼岸花

 

さて、赤尾であるが、”赤”を冠に持つ地名や川や沼は、古来砂鉄に関連しているという。恐らく、鉄が酸化すると酸化鉄として赤くなることに由来すると言う。所謂”赤さび”のことだ。この地名の付近から、実際「たたら」が発見されることは希だが、古来から砂鉄に関する伝承は多い。

この越辺川・坂戸市側は、赤尾、島田地区と呼ばれる。交通網は、少し不便で、川越、東松山、若葉へのバスのアクセスルートを持つ。その中で東武線・若葉駅が最も短距離のようだ。バスは、天神橋を渡って、川島・八幡団地と東武線・若葉駅を繋いでいるらしい。

坂戸市の市内循環のバス停に「赤尾金山」とある。「金山彦神社」がある地域だ。「赤尾金山」と「金山彦神社」と「赤尾」と重なると、砂鉄と「たたら」の影を追いかけたくなる。

バス停・「赤尾金山」


 
「金山彦神社」の祭神は、勿論”金山彦”だが、さらに”天目一箇命”もある。

”天目一箇命” の碑


谷川健一氏の「青銅の神の足跡」では、 ・・・天目一箇命は、製鉄・青銅に従事している人が信仰する神だと説明されている。製鉄では、溶かした鉄の温度を、湯の色で判断するが、昔はそれを肉眼でやっていたために、目をやられて片目になる人が多かった。そこから、この神が生まれたのではないかと ・・・

 

金山彦神社・額と社

金山彦神社があり、金山彦命は鍛冶、鋳鉄、金属技工の神。それに、バス停「赤尾金山」。

 

付近の寺:成就院        赤尾弾正 て地名?人名?

 

越辺川沿いの 天神社と東蔵寺(=天神社の別当寺)

昔、赤尾落合橋があったが、今は流失して無い ・・・

 

「坂戸風土記15号」添付の古地図に、 ・・・鍛治屋敷、カネ山、カネイ塚の地名がある。赤尾金山の南1kmの地名「別所」で金くそが出たとも。

ここからは推論 ・・・

○「金山彦神社」は、砂鉄の採砂場近くの「貯砂場」ではないのか。その跡地が、神社になった。
○この赤尾地区に、「たたら」は無理ではないだろうか。「たたら」製鉄に必要な燃料の供給源が見えてこないのだ。つまり豊富な木材の有する森林山岳が近くにないのだ。
少し足を運べば、比企丘陵に、有数な「古代窯跡」があるが、瓦や須恵器の焼き物は、基本は「登り窯」で階段状に焼き入れの物を置いて、下から火力を吹き入れる。「たたら」は炭の上に砂鉄を置き、鉄を作る。「たたら」の方が高温を必要として、燃料も莫大に費やす。炉の形も違うが、粘土質であれば、「たたら」用に転用は可能だ。
若干低温だと、玉鋼までは無理として、農具の生産は可能だったのではないだろうか。
 ・・・ しかし、比企丘陵の「古代窯跡」が「たたら」であった痕跡は見つからない。

○砂鉄が豊富な川は、越辺川。越辺川の源流は、越生の背景山岳(=奥武蔵)。 ・・・本当だろうか。 ・・・越辺川は、いくつかの支流を合流している。都幾川や高麗川など ・・・
 ・・・ 砂鉄は、都幾川と越辺川のどちらから来たのでしょうか。赤尾金山から、少し上流に、都幾川と越辺川の合流の落合があります。都幾川上流を辿ってみても、慈光寺辺りまで、砂鉄の痕跡はありません。「金山彦神社」は越辺川西岸に位置しています。かなり薄い根拠で、砂鉄は越辺川上流ではないかと当たりを付けます。しかし、越辺川にも砂鉄の痕跡はありません。怪しいところはあるのですが。 ・・・ すると、高麗川か。
○高麗川は、坂戸市内の坂戸高校辺りで、越辺川と合流します。上流は日高市。高麗神社の脇を貫流します。ここに、鉱山があったはず。
 ・・・ 次回は高麗川の源流の山岳の鉄の鉱石を辿ってみます。

川の記憶 ・・・砂鉄の痕跡を求めて ( 続き)

$
0
0

承前
「2014-09-25 20:47:19 | 歴史 赤尾(・坂戸市) ・・・地名の裏を覗くと ・・
越辺川の”曼珠沙華”を見に来て、”赤尾"の地名が気にかかった。
天神橋を渡ると、坂戸市赤尾になる、その”赤尾”のことである。天神橋から越辺川のやや上流の坂戸側に、「金山彦神社」がある。 ・・・
 ・・・坂戸市の市内循環のバス停に「赤尾金山」とある。「金山彦神社」がある地域だ。「赤尾金山」と「金山彦神社」と「赤尾」と重なると、砂鉄と「たたら」の影を追いかけたくなる。」

第二章 :川の記憶 ・・砂鉄の痕跡を求めて

・一旦、高麗川を離れて、入間川 ・・・


写真・入間川風景


写真・川口金山神社


入間川は、中世まで、越辺川を合流し、市野川を合流して、今の大宮・片柳、そして浦和・三室まで剔って流れ、川口・金山を経て荒川と合流していたという記録が残る。この川口・金山は、良質の砂鉄の集積河床を持ち、秩父平氏の支族の古族・河越氏が集団で移住した地域であるという伝承が残るという。いまでも、古族・河越氏たちが崇めた金山神社は、移転・合祀されて、”川口神社”に鎮座していて、川口鋳物師達の”拠り所”となっているらしい。勿論、金山神社の祭神は、"金山彦”です。

さて、入間川だが、上流を名栗川という。同じ川だが、上流と下流が名前を違えるという。
この例は、県境で名前が変わる、信濃川と千曲川という例があるが、そんなに多くの類似を見るわけではない。現在では、入間川と名栗川の名称変化の地点は、飯能市内の飯能河原の先、岩根橋であると言われるが、古来はもっと下流の、加治の阿須の落合辺りであったらしい。しかし、入間川については、名称の境界点がいい加減に扱われていて、地図上でも、岩根橋上流も、入間川と表記されている事例がかなり多い。
阿須は飯能市阿須の地籍になるが、なにやら鉱山と関係が深い。いまでも、現役の炭鉱が稼働している珍しい地域である。このことは意外に知られていない。入間川沿岸部、阿須に「あけぼの子どもの森公園」があるが、隣接して、亜炭の炭鉱・”日豊鉱業武蔵野炭鉱”がそこにある。そして、現役で石炭を生産しているそうです。


写真・入間川・岩根橋

 

写真・入間川・阿須・「子どもの森公園」

さて、砂鉄ですが、鉄の権威といわれる窪田蔵郎氏は、入間川上流の加治丘陵を形成する豊岡礫(れき)層に良質の砂鉄あり、その総鉄量は鎌倉砂鉄の約二倍あると発表しています。豊岡礫層は、第四紀白亜期の地層であり、通常は地中深くに埋蔵されています。河川の流水に削られなければ、地表に現れることもないのが通常ですが、入間川が谷を作りながら沿岸を削ります。どうも、入間川が、砂鉄の川と言われるのは、ここの砂鉄が主原因のようです。
また、加治丘陵の西側を小畔川が流れます。この川の水源は、一つは日高・宮沢湖で、もう一つは加治丘陵です。そうであるなら、小畔川もまた砂鉄の川の可能性が高い。小畦川が、第四紀地層まで堀り起こして流したかどうかは、定かではないが ・・・。


写真・小畦川

中世飯能地区を収めた領主は、武蔵七党の一つ、丹党の氏族と言われています。丹党は、秩父平氏の末裔で、小豪族まで含めると45の氏族、主なところでも、丹氏、新里氏、榛沢氏、安保氏、長浜氏、勅使河原氏、中村氏、中山氏、大関氏、加治氏、横瀬氏、薄氏、小鹿野氏、大河原氏などがあります。その中で、飯能に、事跡を残しているのは、中山氏と加治氏が明らかで、飯能の各所に履歴の残し、源平合戦の折には、当初平家側に属しながら、すぐに頼朝に靡き、鎌倉御家人になっています。その政治的な身の振り方は、任せるとして ・・・。
丹党は、その名の通り、”丹”の採取を目的とする、鉱山主一族です。"丹”は”辰砂"(=水銀)のことで、”武”族となった後は、”丹”採鉱の修験者たちの頭目、元締めであったようです。”丹"の利用は、水銀としてよりも、顔料であったらしい。このことは、他の鉱物、鉄や金の鉱床の見分け方や採掘の方法、選鉱の方法、錬金、たたらの方法などを熟知していた可能性は高いと思われます。

 

写真・中山氏・能仁寺

 

写真・加治氏・円照寺

加治氏や中山氏や同族と思われる名栗氏が勢力としていた名栗地方には、赤工(アカタクミ)、赤沢など鉄に関係したような地名があります。神社や寺も、金錫寺、星宮神社(妙見信仰)、白髭神社、金亀館、八坂神社、金蔵寺などなど。特に有馬山に「たたらの頭」という峰があります。この”たたら"の言葉は、製鉄以外に見いだせないので、鉄製造の言葉として意味を持ちます。
さらに、名栗地方には、鉱山の採掘跡と思われる”穴”が各所で見つけられます。
有馬山は森林の山で、恐らくたたらに使ったであろう炭のための伐採で、禿げ山になったという伝承が残ります。
しかし、何れの痕跡も、"砂鉄”の痕跡を示しません。状況証拠ばかりです。鉱山跡の採掘の穴も、銅や金や、あるいは辰砂(=水銀)の採掘跡かも知れません。金や銅の精製にも、火が必要であります。

たたらの炉は何故か、発見が難しいようです。

”たたら”の遺跡については、伊奈町小室の「がんセンター」敷地内から発見された「大山遺跡」を見る機会がありました。現在は、発掘の跡、埋め直されて標識すらありません。しかし、大宮氷川神社内の「県立歴史博物館」に模型が展示されています。
実際見ての感想は、”たたら”は”意外と小さいものなのだ”ということです。製鉄炉は、内径66Cmとあります。外形でも1m平方ぐらい。鍛冶工房は、製鉄炉の2〜3倍ぐらいでしょうか。県内一の規模というのは、その炉が十数炉かたまってある、数の多さからです。燃料は、主として”サイカチ”という木を薪炭用として用いたとされています。


 ・・・ 参考:大山遺跡 | 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団

 


  参考:01/18/14--08:26: 大山遺跡 ・・・昔の製鉄所跡 in伊奈町

あの時の結論は、大山遺跡の脇を流れる「原市沼」/「原市川」が優良な砂鉄河床を持っていたのではないか、という推論でした。この付近に綾瀬川が流れており、綾瀬川の乱流・支流が原市川であった、と納得していました。歴史好きの人は既知のことですが、綾瀬川は、元荒川の分流の川です。

「たたらの炉は何故か、発見が難しい」 ・・・の理由が分かったような気がします。


写真・たたら製鉄炉


写真・鍛冶工房

たたらの炉は、粘土質で作られます。そして、製鉄炉自体は大きくない。鍛冶工房も、それほど大きくない。従って、玉鋼で作る刀鍛冶でなく、農具を作る農具鍛冶は、炉の温度を1400°Cまで高温にする必要が無い。そうすると、「たたら」は、大規模な製鉄施設を必要としなかった可能性があります。 ・・・大規模農家の敷地内に、「たたら」を設置して炭を焚いて農具を作る、という日常的な風景が仮設されます。
どうも、思い込みで、「たたら」の規模を過大化していたのではないかと ・・・。
従って、たたらの必要性が無くなれば、無用となった「たたら」は、崩されて、一般の農家の庭に戻ります。これで、小規模の”たたら”の発見は困難になりました。


写真・たたら模型 in 県立歴史博物館

ここで、高麗川に戻ります。
高麗川の下流部は、入間川、小畦川とほぼ並行に流れます。加治(鍛冶)丘陵という、地下に第四紀の豊岡地層と隣接の地帯を流れます。その地層から、、砂鉄を削り採って下流に流しているかどうかは、定かではありません。上流は、名栗川と平行に流れます。
名栗川の赤沢や赤工のある山の反対側を、高麗川が流れているのです。同じ山ですから、、山の岩石の組成は、ほぼ同じと見ていいでしょう。

 

写真・多峯主山

 

写真・日和田山


多峯主山(トウノスヤマ)にも鉱山があるそうです。日和田山にも、大宮鉱山がありました。
武蔵丘陵の最高峰・伊豆ケ岳の岩盤チャートは茶褐色で、鉄鉱石であることが確認されています。

 

 
写真・伊豆ケ岳・岩石チャート


写真・鉄のわらじ in天龍寺(子の権現)


面白いことに、伊豆ケ岳から近い”子の権現”に、「二トンもある世界一の鉄のわらじ」があります。 ・・・これは、鉄鉱山と関係ないのかも知れません。

飯能地区を中心に、現役鉱山は ・・・
○亜炭鉱山、○石灰鉱山、○マンガン鉱山だそうです。
砂鉄、並びに鉄鉱石は、採算が合わないので、採掘しないそうです。
同様に、金や銅も、あることは確認出来るが、採算上採掘しないそうです。 

坂戸の越辺川の砂鉄の出所は、これでどうにか分かりました。砂鉄は、花崗岩が風化して、組成分解してできるので、量を別にすれば何処にでもありそうです。秩父山系や武蔵丘陵は、色々の鉱物の宝庫でもあるようです。                          

                      ・・・完

ちいさい秋 見つけた  ・・・見沼たんぼ

$
0
0

ちいさい秋 見つけた  ・・・見沼たんぼ

 

本当は、この芝川の土手には、”すすき”がいっぱい、の筈だが ・・・ 寸前に刈り取られたようだ!

ちいさい秋  木の実

 

 

ちいさい秋 秋桜

ちいさい秋 すすき

10月はじめ ・・・

刈田 と 柿 と すすき が撮りたかったのだが ・・・ 残念!

 

 

 

御嶽山噴火

$
0
0

御嶽山噴火

 

 

9月27日(土)、正午少し前 ・・・長野県と岐阜県に跨がる「御嶽山」が噴火した。ニュース画面より転用 ・・

御嶽山の噴火を伝える「信濃毎日新聞」号外


「御嶽山」は、木曽の”おんたけさん”と呼ばれ、3067mは、日本で十四番目の高山である。高さは十四番目であるが、木曽山脈にも飛騨山脈にも属さない、独立峰である。
この山は霊山として名高く、近年までは、修験者以外の入山を拒み続けた山で、火山としての登録はあるものの、火山としての活動や災害の悲劇を余り聞いたことがない。
生を、木曽山脈の反対側で受け、御嶽山の"歌”や"言い伝え”や"禁制”を聴きながら育ったものとして、入山者・登山者の多さに驚きを感じている。
10月2日、御嶽山噴火での入山者の死亡確認は47人に達したと報道されている。

この、「御嶽山」に対する思いは、愛知県、岐阜県、長野県の人達他と、それ以外の人達では、温度差の違いを感じる。
「御嶽山」に対する”思い入れ”の温度差の違いを、独断と偏見と思い込みがあることを恐れずに、自分の考えを書いてみたいと思います。

木曽川は、濃尾平野を貫流する。

木曽川


美濃と尾張、岐阜県と愛知県である。木曽川は、濃尾平野の”母なる川”である。古代より、木曽川は、広大な濃尾平野の水田にとって恵みの川であり、その源流に、御嶽山はあった。自然と、木曽川と御嶽山に敬慕の念が生まれ、それが信仰に変わっていった。
川とその上流に位置する源泉の山が、信仰の対象になるのは、日本では希なことではない。江戸時代に、荒川上流の秩父へ、とりわけ三峰山へ、江戸の市民は、参詣に、足繁く通ったという。山岳の奧に鎮座する神社の奥の院は、ほぼ例外なく、川の源流に位置する。

木曽川の源流、御嶽山には、「御嶽神社」が鎮座する。
 ・・・ 同じ御嶽神社の字で、「みたけ」と読む場合と、「おんたけ」と読む場合とでは、神様が違うらしい。
・・○「みたけ」神社は、蔵王権現を祭った神社、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂。
・・○「おんたけ」神社は、木曽御嶽山の木曽御嶽神社が総社。木曽系の御嶽(おんたけ)神社。

御嶽山・頂上付近

この木曽御岳神社は、全国に分社があるが、極めて面白い、特徴的なデータがある。つまり、御嶽神社の神社数だが、愛知県が一位、岐阜県が二位、三位と四位は、ほぼ同数で長野県と埼玉県が占める。この一位と二位の愛知・岐阜は、ともに濃尾平野で、木曽川の恩恵を受けていることからして頷ける。御嶽神社の所在地の長野県が、後塵を拝しているのは面白い事実だが、埼玉県が上位に顔を出しているのは、不思議な現象である。

これには、歴史を眺めると、訳がある。
江戸時代、御三家の尾張藩が、木曽御岳神社を庇護し続けた歴史が、御嶽山岳信仰を全国に広めたと見て良い。
この尾張藩が、木曽御岳神社を庇護し続けた前提は、木曾家の重臣・山村家の存在を抜きには考えられない。
戦国時代の木曽氏(木曽義昌)は、信玄の武田家と姻戚を結び、やがて武田を離れて秀吉につき、そして家康の家臣となった。この経緯も面白いが、長くなるので別の機会とする。
家康の家臣になった時、木曾義仲を祖とする木曽家の重臣の千村家と山村家は、家康の特殊な家臣となった。"山林政策を専門とするテクノラート官僚”である。”木曽路は全て山の中である"ので、彼等は、山林に詳しい。そこで、千村家と山村家は、幕臣として、「山林奉行」を命じられる。さらに山村家は、木曽が尾張藩に宛がわれた時、尾張藩の重臣(家老)になっている。千村家も、同様に、信州南部の山岳と遠州の山岳を知行されている。
つまり、山村家は、尾張藩家老、幕臣で「山林奉行」。千村家は、寄り合い大名格、幕臣で「山林奉行」という、二足のわらじを履いた、特殊な幕臣だったわけである。
なお、千村氏は、明治維新になって、本来の義仲の末裔と言うことで、木曽氏に苗字帰りをしている。
江戸時代に、山岳信仰の御嶽神社は、一時幕府の禁制の宗教になったとき、尾張藩は、この禁制を解くべく幕府を説得し、その信仰は自由になったと言われる。この山村家が、尾張藩の家老として、熱心に御嶽神社を庇護し続け、さらに藩主に訴え続け、御嶽神社を整備したのだ、という。

こうして、木曽川は、濃尾平野の、母なる川になり、御嶽山は、尾張・岐阜の地域の信仰の山になっていった。この山は、尾張藩と関係が深い山として、伐採は禁じられて、さらに神域として、人家を作るのが憚られた。

伝承として残るのは ・・・「木曽の檜は、枝一本に腕一つ、木一本に首一つ」といわれ、住民は恐れて近づかなかった。

文豪の島崎藤村の実家は、尾張藩家老で幕臣・木曽代官の山村家の家臣で関所番・高瀬氏と同族。 ・・・この部分は検証していません。

御嶽山は、休火山のように思われているが、それでも数は少ないが、噴火の事例はある。しかし、神域として、人家がないために、過去の噴火の災害は、人的被害にまで至っていなかった。

木曽川の浮世絵

木曽節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−3番まで;


木曽節:”中乗りさん”は、筏乗りの中央に乗る人で、船頭さん。、木曽檜を筏に組んで、尾張まで運搬する時の、筏舟歌

木曽の観光案内パンフレットから

木曽川・江戸時代御嶽山の噴火の犠牲者の方の出身地を見ると、愛知や岐阜の方を多く見受けます。

 

山登りが好きな方と同時に、こんな昔からの信仰もあったのではないかと・・・
いや、信仰までも行かないが、御嶽山は”なぜか懐かしい”思いがあったのではないかと思い、その懐かしさの源流を自分なりに探って見ました。
当たっていないのかも知れませんが ・・・、 また行方不明の人数のニュースが流れました。

・・・亡くなった方に、ご冥福をお祈りします。 合掌!

入間川原に、野仏と庚申塔 ・・・

$
0
0

入間川原に、野仏と庚申塔 ・・・

○野仏が 廃寺の跡に 墓の守  ・・庄 

場所は、川島領大囲堤の南縁、左に白山太神社。
右にカーブするような堤が荒川右岸堤防(荒川森林公園自転車道)。
荒川沿いが、”三又沼ビオトープ”。

荒川と入間川の合流地点の入間川原は、”すすき”の群生がある。
”すすき”を見に散策していると、すすきなどの雑草に隠れて、
野仏と庚申塔があった。  ・・・墓地と五輪塔もある。
この川は、少し上流では、4つの川(越辺川、大谷川、小畔川、入間川)、が合流する。

堤防の入間川沿いに、竹遺跡があります。
 ・・・ 平成22年1月の発掘調査で約1500年前に造られた古墳時代後期の古墳跡3期が発見。
野仏と庚申塔 ・・・は、この古墳遺跡にあります。

庚申塔、野仏、五輪塔 ・・・ですから、かって寺があったかも知れません。
洪水で、ついに廃寺になった跡地 ・・・

ここは、すすきの群生地

秋風に、すすきの穂がゆれています。

入間川原から堤防を超えると、秋桜の風景。

 

参考1:白山太神社 ・・はくさんだいじんじゃ。太を”だい”とよむ。”大”ではない。

参考2:川島は、荒川、入間川、越辺川、市野川に囲まれて、付いた地名だと。いう

 


コキア 紅葉 ・・・

$
0
0

秋の日 ・・・

コキア 紅葉 ・・・

別名:ほうき草

実がなると、「とんぶり」 ・・・畑のキャビア


「過去の思い出 ・・・ひたち海浜公園」 見渡す限りの”コキア”

 ・・ コキアカーニバル :例年、9月中旬~10月中旬


 ドライブの参考:”大宮”から”ひたち海浜公園”まで ・所要時間100分
    ルート:岩槻IC-東北道-外環-常磐道-北関東自動車道-茨城町JCT-一般道
    ガソリン消費 ・9.5L

  ・・・何れも、片道・普通車

コキアは、八幡橋・冠水橋(越辺川)付近の農家の庭先で見つけました。

八幡橋(冠水橋)

 

秋のバラ in 旧古河庭園

$
0
0

秋のバラ in 旧古河庭園 

上中里から王子まで、秋の薔薇を見ながら、散歩 ・・・

この界隈の散策のルートの出発点は、内田康夫の小説の主人公・浅見光彦の地元ですから、最寄り駅はJR上中里駅です。そこから、平塚神社へ寄って参詣し、平塚亭の団子を買って頬張りながら旧古河庭園に行き、洋館を見て西洋庭園で薔薇を堪能し、日本庭園の回廊を散策するのが良かろうと思います。ここや、岩崎邸の洋館建築は、明治の政財界の西洋かぶれをいい意味で感じることが出来ます。建物内部は、流石に、生活スタイルまで西洋風になれなかったらしく、和洋折衷の妥協の産物のようですが・・・。内部まで見学できるかどうかは、定かではありません。
旧古河邸に飽きたら門を出て、右に行けば駒込・六義園方面ですが、来た道を戻り、本郷通りをそのまま下ります。地下鉄・南北線・西ヶ原駅の左手の住宅街は、浅見光彦の家のある西ヶ原3丁目、小説の中の家ですから架空です。時間があれば、右手に、桜で有名な「飛鳥山公園」があります。公園内は、青淵文庫、渋沢栄一資料館、飛鳥山博物館、紙の博物館が並びます。時間を食いそうなので、見ていきたい誘惑を押さえて、やり過ごします。「飛鳥山公園」を過ぎると王子駅。駅前商店街。ここでは石鍋商店のくず餅、「扇屋」の「釜焼き玉子焼き」。・・・特に、江戸落語「王子の狐」にちなんでの玉子焼きは絶品とか。散歩を堪能 ・・・

平塚神社 ・・八幡神社、昔この地にあった平塚城の鎮守
御祭神:八幡太郎 源義家命
 ・・ 源義家 岩清水八幡宮で元服したので八幡太郎と。
 ・・ 賀茂次郎 源義綱命:義家公の次弟。賀茂神社で元服したので賀茂次郎。
 ・・ 新羅三郎 源義光命:義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。
        新羅明神で元服したので新羅三郎。

 

新羅明神は、園城寺 (三井寺) の本尊の一つ。名前からして朝鮮と関係が深そうですが ・・・
神仏習合も、ここまで来ると、寺なのか神社なのか、さっぱり凡人には理解出来ません。
最初は、源氏武将の鎮守だったのが、いつの間にかこの地方の郷社になっていた ・・とか。


 

名探偵・浅見光彦や光彦のご母堂の好物の”だんご”。まあ・・美味しい!が、絶品とまでは ・・?1本¥130!

 

旧古河庭園 秋のバラ・フェスティバル

入場券:大人¥150

 

パンフレットから ・・・

旧古河庭園では、秋バラの見ごろに合わせ「秋のバラフェスティバル」を開催します。 秋のバラは、香りや色彩を長い期間お楽しみいただけます。 大正初期に建てられた重厚な洋館と、約90種180株のバラが織りなす旧古河庭園で、秋ならではの バラの美しさをご堪能ください。
日時:平成26年10月11日(土)~26日(日) :9時~17時(最終入園は16時30分)

 

西洋庭園

緑の中の彩り 薔薇も多いが・人出も多い。・・・顔はぼかしました。


秋の薔薇

 

 

セレクトは、筆者の好みで。グラディション、ベルベットタッチ、色変化 ・・・

 

苦にならない程度のアップダウン、洋から和への変化 ・・・意外に疲れない ・・・

 

旧古河邸
所在地:東京都北区西ヶ原1-27-39(電話03-3910-8440)
建築年:1917年(大正6年):設計者:ジョサイア・コンドル
:構造:煉瓦造地上2階・地下1階建
概要:
ジョサイア・コンドルの設計。、陸奥宗光の邸宅跡に、古河財閥三代目当主・古河虎之助の別邸として建てらた。煉瓦造で、外壁は荒い仕上げの安山岩を使い、落ち着いた雰囲気を見せています。・・旧古河邸は、和洋館並列型ではなく、洋館単独の建物です。外観はまったくの洋風なのですが、2階には床の間や違い棚、付け書院のある伝統的な和室が組み込まれています。・・ 建物に劣らず魅力的な庭園は、斜面に沿って洋風庭園から日本庭園へと続いています。洋風庭園にはバラが植えられ、5月と10月にはたくさんの見物客が訪れます。回遊式の日本庭園の作庭は、京都の名庭師・小川治兵衛の手。

 ジャサイア・コンドルの設計・建築 ・・・恐らく日本の建築造形に、多大の影響を与えたのでしょう ・・・

外壁は、煉瓦だと思ったが、石です。安山岩と書いてあります。

 

日本庭園

池は、心字池。池の周りに、大きな石灯籠 ・・・灯りが付いた模様を見て見たい。 ・・・幻想的かも !

日本庭園の池の周りの紅葉は 、少し色付きました。 少しだけ、秋です。 

欄の花 ・・胡蝶蘭

$
0
0

らんの花 ・・胡蝶らん


なんとなく ・・ラン撮影

○ 蘭の花 我に鄙吝の 心あり  ・・子規


 

 

 

 

らん の姿勢は針金で ・・・ そうだったのか!

富士山 ・初冠雪

$
0
0

 嵐が過ぎると、急に肌寒くなった。 暖房が恋しくもなった。

時折台風が過ぎると、前と違った季節が出現する。落ち行く秋 ・・・

富士山 ・初冠雪 ・・・10月16日

毎日新聞より、転載
 ・・・ 里は秋だが、山は冬 ・・・ 御嶽山の「行方不明者」の捜査は打ち切り ・・・
複雑な心境である ・・・

富士山の初冠雪は、例年より16日遅く、去年より3日早いのだそうです。

色づく公園 ・・・

$
0
0

色づく公園 ・・・

○ 初紅葉とて 薄々と ありそめし  ・・汀子

紅葉 ”だんだん” ・・・

 

稲畑汀子の初紅葉の句 ・・・                    
この「ありそめし」は、難解である。
○蝋梅の香の一歩づつありそめし   稲畑汀子
これも、稲畑汀子の句であり、汀子は「ありそめし」を多用する。
だが、「ありそめし」は巷では余り見かけないのだ。
要するに意味不明だが、汀子の俳句に登用されると、にわかに輝いてくる。
そこで、普段使っていない凡人の脳みそを、最大限活用して解釈を試みると ・・・
「あり」を「存在」とか「存在感」として、
「そめし」を「だんだん増してくる」とすると、・・・
・初紅葉 の句は、紅葉の色がだんだんと増してくる情景が ・・・ 
・蝋梅 の句は、蝋梅の香りがだんだんと増してくる情景が ・・・ 
 ・・・ 眼前に映し出されるようだ。
僕は稲畑汀子なる人を知らない。知らないが、この句は秀逸。


 

色づく 木の実

秋の公園は 小鳥たちの”食料の宝庫” ・・・”サンザシ” ・・常磐山査子か?常磐というからには、紅葉しない灌木か?

小鳥が群れているのを見かけるが、人が食べれるのか ・・?


 近いうち 安行の”紅葉園”と 11月に、飯能の”能仁寺・天覧山”に、紅葉を見に行きます。

花と緑の振興センター 付近 紅葉情報 ・・・

$
0
0

安行・散歩 ・・

花と緑の振興センター 付近 紅葉情報 ・・・ 

モミジ園

 

 

植物振興センター付近・・

 

植物振興センター付近・モミジ園  

モミジ園

 

モミジ園

 

植木農家兼庭師の庭石・芸術 ・・・

気味が悪いが、味もある ・・・

 

 

やはり・・ 寺の庭師か?!

花と緑の植物振興センター の庭園   秋には、もう少し ・・

 

紅葉の名所 興禅院の紅葉は、いまだ”青青”  すすきが、少しだけ秋を告げる

 

 

島戸練子・しまとねりこ

$
0
0

  島戸練子・しまとねりこ


木の概容も変だが、変な名前である。

 


シマトネリコの名前の由来は、島=沖縄などの南国諸島にある、トネリコ(戸錬子)という意味。
別名は、タイワンシオジ(台湾塩地)。塩地=トネリコという意味。

・・■トネリコの名前の由来 調べて見たら、以下のとうり ・・・

トネリコの名前の由来・・・木の種目?
トネリコとはモクセイ科トネリコ属でシマトネリコと同じ仲間。
稲を干す稲架木(はさぎ)用として、水田の畦に植えられた。
トネリコの材を「アッシュ(ash)」と言い、アオダモとともに野球のバッドやギターに。

トネリコ(戸錬子)の由来は、2つ。
一つ目は、樹皮につく虫が分泌する白ロウを戸の溝に塗ったトヌリキが転訛したもの。
2つ目は、写径を行う際に、本種の皮を煮て膠(にかわ)状にして、
そこに墨を混ぜて練ったものを使ったことから、トモネリコ(共練濃)が転訛。

 

同じ木の根や幹から、二層の色彩の葉が被う。木立は約3~4mの高さ。
葉の色は緑、上層は花なのか、鞘なのか!!
島は、沖縄、台湾、琉球列島などの、どちらかと言えば”亜熱帯”系らしい ・・・

行きつけの病院の庭で見つけました。


十月桜

$
0
0

  

 ・・ 十月桜 ・・

もう20年以上前になるが、、鬼石で冬桜も見た時は、感動ものであった。
疎らな桜の花の隙間に、雪を被った”浅間山”は絶景で、これが絵になる風景だ!と思ったものだ。
”10月桜” ・・・桜の花は、いつ見てもいいものだが、四季がどこかへ行ってしまう・・・

病院の庭の木立の中に!


 

すすき 秋桜 紅葉

$
0
0

山茶花の咲き始めの頃 ・・と思って、行ってみた。 あと、4,5日あとに ・・・

冷気 充

すすき 秋桜 紅葉

額の縁を腐食させてみました ・・・

 

 

 

 

スマホを見る猿

$
0
0

スマホを見る猿

長野県山ノ内町の地獄谷野猿公苑    楽しい画なので、拡散中 ・・・

ロンドンの自然史博物館は29日までに、「今年の野生生物写真家」コンテストで、長野県山ノ内町の地獄谷野猿公苑で温泉につかりながら米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」を見るニホンザルの写真が、人気投票に基づく特別賞に選ばれたと発表した。コンテストは同博物館と英放送局BBCワールドワイドが共催した。

 受賞したのは、撮影ツアーを率いていたオランダのマルセル・ファンオーステン氏。旅行者がiPhoneをサルに近づけて写真を撮ろうとして、サルに奪われた場面に出くわし、シャッターを切った。(共同)

掲載新聞 毎日新聞、信濃毎日新聞

リニア新幹線・「玉砕国家日本はどこへ行く」

$
0
0

リニア新幹線・「玉砕国家日本はどこへ行く」

先日フェースブックに、
「玉砕国家日本はどこへ行く」と題するリニア新幹線批判が掲載されていた。

参照:全国民が見るべき動画。リニア新幹線のバカさ加減が ... - Blogos


この「アニメ動画」を検証します。

ここには、「リニア新幹線」への懸念と批判が凝縮されていて興味深い。
しかし、その内容は、いくつかの賛同の部分と多くの納得出来ない部分が含まれている。論理的でない、科学的でない飛躍や短略は、最初に”反対ありき”の結論からの醜悪なプロパガンダに成り下がるのかも知れない。

①:最初に画面 ・・・”ライチョウ”、”クマタカ”、”生態系破壊”と出る。
 ・・・ 確かに赤石山脈(南アルプス)にトンネルを掘って、”リニア新幹線”を走らせようとする計画。懸念されるのは、むしろ山麓に住む猪、鹿、猿や山麓の草木の方らしい。山脈の山頂付近の、”ライチョウ”への影響は、ほぼ無いと見られるが、森林破壊で、”クマタカ”への影響は、懸念される。しかし、まだ未知の部分も多いので断定はできない。 ・・・これを巻頭の掲げるのは、”意図”を感じる。
②動画に移ると、漫画的説明に移って、突然”猫”が出てきて、”リニア新幹線”なる無謀な計画は、中止させなければならぬ」と宣言する。 ・・・無謀であるなら止めさせなければならない。
③無謀の理由は、電力消費が3倍で、スピード(対東海道新幹線)が2倍。 ・・・エネルギー効率が悪い。
④ここで、猫は、原子力発電の再稼働容認と関連していると説く。 ・・・本当だろうか。 ・・・調べて見たが、JR東海は、だから原発は必要だ、というような声明は一切出していない。これは民間の事業だが、政府からの電力必要量の懸念も発表されていない。尤も、リニアの計画は、原発事故が起こる相当前であり、その頃は総電力量の中に、原発電力も含まれていたのも確かだろう。話の順序は、リニアが先で、原発事故があり、リニアが具体化してくる時、電力が足りるかどうか、という話である。無理矢理、原発必要論と結びつけるのは、飛躍・短略であるようだ。
⑤JR東海の考え方 ・・・電力の安定供給のために、原発は必要。 ・・・まあ、電車は電気の動くのだから、電力の安定供給は必要でしょう。夜、灯りが必要なのも、TV・パソコンを動かすのも、電車に乗るのも、電力は必要なことは大前提で、その上で電力を作り出すのに、”危険な原発が必要”かどうかは、意見が分かれるところ ・・・筆者は”原発”に反対である。しかし、ウランやプルトヌムなどは、発電しようとしまいと、所持していること自体が危険であり、発電とは基本的に関係が無い。
⑥「原発がなければリニア新幹線は成立しない」 ・・・これは論理矛盾である。電気がなければ、電車が走らない、ということである。 ・・・これは意図的なすり替えである。
⑦電磁波の健康被害 ・・・基準値を下回っても危険だというと ・・・何を信じたらいいのだろう。防御壁を作っても心配だ、というのなら、危険を伴う”新しいこと”への挑戦が不可能になる。
⑧トンネルが多く、中央構造線の下をほって、リニアを通す計画。 ・・・確かに未知な部分が多く、予知できない危険があるかも知れないのは事実。 ・・・ただ、ルートが地震多発地帯だというのは聞いたことがない。どこからの資料であろうか。
⑨環境面。大井川の水量の減少は事実であろう。
⑩環境面。動植物への影響。①の内容。
⑪環境面。トンネルの残土。関連自治体に”処理”を依頼した。
⑫採算性。経済性ついては、全く正反対に、利便性は経済を活性化させると思います。延長の名古屋-大阪は、余り経済の活性化をもたらさないように思いますが。また、途中駅での経済効果も、地元の取り組み如何でしょうけれど、大きく貢献するようには思えません。時間の短縮は、思わぬアクセスルートの変革がありそうですが。

総じて、このアニメ動画は、かなり”粗雑”だが、リニア新幹線の解決しなければならない問題はありそうだ。
東京-名古屋間40分は夢である。時間短縮の運行時間は、利便性の向上である。交通機関の交通網は、この前提に立って改良されて現在に到っている。これが歴史的な現実である。

これは、「リニア新幹線」を偏見しての、”ヘイトスピーチ”まがい。先に結論ありき。

浦和レッズ 大原サッカー場&酒蔵”力”

$
0
0

浦和レッズ 大原サッカー場&酒蔵”力”


Jリーグ ・・・ 今年の”浦和レッズ”は、現在一位。優勝できるかも知れない位置にいる。
久しぶりに、レッズの大原の練習場まで、散歩の足を伸ばした。
あの時は、福田が引退前の現役で、小野もいた。練習場には、高校生らしき乙女達が屯し、
小野の練習の”一擧一動”に、”きゃっきゃ”騒いでいたのを思い出す。
あの時、福田や岡部は、練習場にはいなかったように思う。
大原サッカー場は、あれから、暫くぶりである。今の選手は余り知らない。


大原サッカー場


残念ながら、本日は、練習場に人影はなく、”close”状態。


大原サッカー場は、見沼用水東縁水路に面し、見沼たんぼが隣である。

 

 
大原の地籍は浦和だが、大宮との境界に位置し、大宮に出島のように突き出た場所。
勿論本拠地は、駒場スタジアムだが、埼玉スタジアムでの試合が多い。
浦和レッズの前身は、三菱レッズダイアモンド、・・三つの赤いダイヤが名称の起源。

酒蔵”力”

この写真は、酒蔵”力”の倉庫兼仕込み作業所のシャッターに写真です。

酒蔵”力”の浦和(本)店は、有名な、”レッズファン”の集う酒場です。


たぶん、他の居酒屋・”力”もレッズファンの店でしょう。

まだ、Jリーグが出来る前は、確か居酒屋”力”の”お通し”は大量のキャベツであったような?とにかく安く飲めるので混んでいた!
昔は、浦和伊勢丹の裏に一店舗だけ有ったが、つの間にか、八店舗に増えている。
居酒屋”力”の営業努力の結果なのか、それともレッズとレッズファンの力なのか。

今年は、優勝できるかも知れない ・・・ 昔のレッズファンは気に掛かる ・・・

Viewing all 680 articles
Browse latest View live